6.社会の学習について思うこと


期末テストが終わり、夏休みに向けての準備時期に入っています。今回の通信では、以前からずっと気になっていて触れてこなかったことについて書こうと思います。


それは、"なぜ社会嫌いの生徒がこんなにも増えてきてしまったのか?"です。康徳社で現時点で唯一授業形式で行っていないのが社会です。これには、社会は学校の授業をベースにまず自分でノート作りをして、ノート作りの中で理解をしながらテスト前にしっかり覚えるので塾で履修する科目としては不要という考えがありました。ところが、最近この社会に定期テスト前に悩まされています。それは、最近学校の授業の中で基礎となる板書用ノートがなくなってきていることやあったとしても前後のつながりや重要な箇所もわかりにくいので、テスト勉強するにしても何をどのように理解して勉強すればいいのか困るというのです。そして、そこから"意味不明な社会という科目は何のためにあるんだろう?"という社会嫌いの生徒が多数出てきていることです。そこで今回は社会の学習目的について考えてみました。


中学校の社会は、地理・歴史・公民の3つの分野に分かれています。地理の学習目的は、簡単に言えば"それぞれの土地の生活を知る"ことにあります。中学生にとって自分の生活範囲以外のくらしを知ることは、将来の生活の基盤をどこに置くかを決めるうえでもとても大切です。そして各地域に暮らす人々が何で生計をたて、またどのようにしてその地域に産業が根ざしたのかは、地形・気候・風習などにすべて関連性があります。それを一つ一つ学ぶことで各地域に興味がわいてきて旅行に行ってみたくなりますし、将来どこでどういう生活をおくろうかという動機付けにもなる素敵な分野です。私の中学校時にも(普通の公立中学校でしたが)社会の先生が各地域のいろいろな生活についてくわしく解説してくれました。

歴史は、各国・各地域を遡って考える分野です。過去があっての現在、これは人間についても言えることで過去を否定したり、なかったものにしたりはできません。そして、歴史には時代の流れがあります。社会が内側から変わろうとしたりあるいは外部の力で変わらざるえなかったりしますが、時代が進むにつれて互いに影響を及ぼし合うことで世界がつながっていきます。そして、歴史を学んでいく過程で人間のやっていることに大昔と現代人との間で大差がないという根本的なことに気付かされます。だから、大人になると歴史書を読んで共感したり、歴史から学ぶことがあったりするのかもしれません。そういう意味で本来年号とか、キーワードだけを覚える分野ではないはずなのです。

三年生で習う公民は、大人になってから実生活で必要な政治・経済のお話です。生活をよりよくするために政治のしくみを学んだり、お金の動きを学んだりこれはまだ社会生活の実体験が少ない中1では履修できない分野だと思います。そして義務教育が終わる中学の最終学年で、実社会に直接関係のある公民を学ばせることは理にかなっていると思います。


つまり、地理・歴史・公民はベクトルは異なりますが、『生活を学ぶ科目』だと言えます。生活に直結するという意味では大人になって一番役立つ科目かもしれません。知識はすべてつながっていて、それをこれから生きる上で活用するための学問といえます。中学校でベクトルが異なる3分野を学習することはとても意義あることだと考えます。

私の時代では、むしろ社会科で素晴らしい先生が多数いらっしゃったため、最近の社会嫌いの生徒が増えている現状に正直戸惑っています。中学校の社会科がどう変わったのか(あるいは変わっていなのか)実際の授業をうけてないのでわかりませんが、少なくとも言えることは社会の教鞭をとるものはいろいろな実体験をし(理論を学ぶ学問でないからです)深くて幅広い知識があり、そして特定の思想に偏らない公正な人間でなければなりません。そういう意味では教える技量が問われる最も難しい科目かもしれません。『学校の社会科の先生には実際なりやすいから教師の質が落ちてきている』などの話しをきくと、私が今までに教えていただいた立派な先生方まで不当に貶められているようで憤然とした気持ちになります。


この夏、私自ら教鞭をとることは時間的に不可能ですがノート作りはやっていく予定です。

(2013年7月3日)