11.講師の引き出し


4月に入ってから新しいカリキュラムのもと、塾生がほぼ毎日塾に通う生活が始まっています。4月から今まで全員に行わなかった国語・社会を授業形式で行うようになり、すべての教科の準備をする手間はかなり増えましたが、その分塾生がどういうことを知っていて、どういうことに興味があるのかなど今まで気づかなかったことを知る機会が格段に増えた気がします。中2生以上では社会についてアレルギーをすでにもっている生徒が多く、アレルギーをとるところからはじめなければなりませんが、それも興味がなぜなくなったのかを知るためのいいきっかけになっています。

国語については、さまざまな題材に触れるきっかけを週一回もつことができることにより単に国語の点数の上昇などの瑣末な事柄にとどまらず、将来さまざまな場面で要求される読解・表現力を養う訓練の場になることを期待しています。私が国語の読解・表現力で力を注いでいるのは常に『考える力』を持たせることです。筆者それぞれの価値観のもと問題提起がされ、読者に考えさせる題材が出るわけですからそれについて考えることなしに解法テクニックだけに偏る授業を展開しても何が残るでしょうか?子供達のそれぞれの考えを授業で聴き、お互い意見を言い合うことも楽しい時間です。

また社会では知識の詰め込みだけに時間を割くのでなく、その知識の周辺にまで足を伸ばすことを心がけています。社会の暗記のコツはその知識の位置づけや関連性などの奥行きを学ぶことです。表面的な知識だけでは決して頭に入りもしなければまた定着もしないものです。誰しも意味がわからない経典を書き写して暗記する作業ほど苦痛なものはないでしょう。だから、説明をする際にはさまざまな話をくっつけて話すことを心がけています。すると、そのための準備が結構大変で、根本的なことをまだまだ知らなかったりと授業に向けた下調べが多くなってきています。ただ、これらのインプットをしていく作業はとても楽しく、そこがこの仕事の魅力的なところかもしれません。


私は、最近古典落語が好きになり時々聞きますが、好きな落語家は話のあらすじがわかっていても毎回新しい聞き方ができる落語家です。同じ素材でも古さを感じさせないような噺家がホンモノだと思いますし、おそらくそれができる噺家もインプットの作業を常にしているから、たくさんの引き出しをもっているのではないでしょうか?同じことが講師についても言えます。毎年同じカリキュラムで同じことを繰り返す講師がいたとしたら、さぞ授業は退屈だと思います。そういう意味で毎年カリキュラムも柔軟に、講師自ら成長できるものを作り上げることが大事だと思っています。


中学生から世の中の仕組みをしっかり知って自分の目指す道について少しずつ方向づけしなければなりません。国語・社会はそのための基礎となる教科であり、子供たちに将来を考えるいい題材をどんどん提供できるようインプットをしっかりやっていきます。(2014年4月14日)